「太閤記」
茂木氏は昭和55年7月14日に亡くなったが、「『太閤記』は読者が作ったようなもの、視聴者が望むなら高橋幸治の信長の死をのばそうと、2か月間遅らせた」と語り、人気の出た高橋・信長の延命策を承諾した。
そして、本能寺の変のときは57%という高視聴率が記録された。
前2作の大河ドラマとはガラッと違った若い視聴者層がふえ、「太閤記」によって大河ドラマは定着したばかりか、広範な視聴者を獲得した。
この成功の原因を分析すると、「生きている丸彫りした人間を描いた茂木さんの脚本、フレッシュな新人キャスティング、制作意図を明確に浸透させた吉田さんの演出」の三点に要約できるといいます。
昭和40年1月3日に放送を開始、1年間で終わったが「太閤記の会」は毎年1回開かれ、いまだに関係者は旧交を温めています。